棚田再生プロジェクト

■ 袖志の棚田

京丹後市丹後町袖志は、山と海に囲まれた、半農半漁の営みが残る近畿最北端の集落。人口は約180人、計75世帯、宝物は日本海に面した美しい棚田。その約400枚の棚田の中に、今年約20年ぶりに開墾され、命が宿った田がある。【袖志の棚田再生プロジェクト】として5/12に実施された田植えイベントでは、その田を舞台に多くの出会いと再会がうまれ、たくさんの笑顔の花が咲いた。集落の高齢化・人口減少により全体の約15%が休耕田となった3年前、田植え体験にやって来た大学生たち。全ての始まりは、棚田に吹いた小さな風であった。

 

■ 大学生がやってきた

2010年春、15人ほどの大学生が京阪神から袖志の棚田にやってきた。腕をまくり、靴を脱ぎ、素足で田んぼに入り、1つずつ手で植えていく。おじいちゃんか、あるいはおばあちゃんほどの年齢の袖志の人々に手ほどきを受けながら。

「みんなで再生~袖志の棚田を未来へ~」を合言葉に、【袖志の棚田再生プロジェクト】は始まった。「大学生と一緒に棚田を再生しませんか?」2010年4月、地元出身の大学院生や有志の提案を受け、地域が応えた。休耕田だった2枚の棚田(8a)を約15年ぶりにおこし、田植え、草刈、稲刈り、そして収穫祭と1年間を通して活動。毎回、京阪神から平均15人ほどの大学生がやってきた。一番の盛り上がりは、毎回夜に実施する交流会。交流と体験が取組のキーワードだ。

大学生は、袖志に変化をもたらした。大学生にとって、袖志のくらし、食、風習や技術など、袖志の全てが新鮮で魅力的だった。棚田も例外ではない。袖志の人々は、日々見慣れて忘れがちな、自分たちが持つ宝物の価値を、大学生との交流の中で再認識できた。それに伴い、人々の意識は少しずつ変化していった。再生した田の維持管理は地域にとって大きな負担だが、棚田を守っていく、地域を元気にするんだ、という機運が高まりつつあった。

 

■ 「袖志棚田保存会」設立

2011年3月、当時の区役員が動いた。棚田に吹いた風を無駄にしない、これを機に本格的に棚田保存に取り組むべきだ、そうした想いを胸に「袖志棚田保存会」を設立。事業内容は、2010年に続く大学生やボランティアの受け入れによる体験・交流事業と再生した棚田の維持管理、それに有料会員制(5,000円/年あたり新米10kgなど)の導入と袖志棚田米のブランド化による地域全体の活性化。「ヒトと資金」が循環する仕組みの構築を当面の目標とした。

2011年度は、新たに5a(5枚)の休耕田を再生。リピーターができ始め、社会人ボランティアの参加者が現れた。都市部のイベントでの試作販売やPRなど、動きも活発化してきた。一方で、課題は、活動主体としての組織は設立されたものの、地域内で協力体制が確立していないこと。地域住民の機運の高まりをどのように形にするか。風が運んできた種は小さな芽を出し始めたが、まだしっかりと根付いてはいない。

 

■ 地域に根付く、まちにひろがる

「棚田を守っていくためには、地元が中心にならなければいけない」2年間で積み重ねた想いを胸に、保存会役員で検討した結果、地元袖志住民を対象にした会員制度(1,000円/年)の導入が決定。2012年4月に説明会を実施、この間の協力者に声かけを始めた。すると、30人以上の方が入会を希望。多くの方が協力を申し出てくれた。2年間の体験・交流事業で、「土」は十分に肥えていたのだろう。

まちにもひろがった。過去2年間の参加者からの口コミ・facebookでのPRの結果、5/12に実施した田植えには過去最高の約70人が参加、会員も20人を越えた。さらに、多様な「風」は取組に新しい動きをもたらす。現在、芸大生が保存会のパンフレットや米袋をデザインしている。2012年は12a(3枚)の休耕田を再生、計25aの再生田には、この秋も、たくさんの人々の想いが詰まった黄金の稲穂が実る。(378)

 

■おわりに~「風」と「土」~

 高齢化・人口減少が進む地域に、一輪の花を咲かしたい。そのための役割があるとすれば、外からやってくる大学生は「風」、そこで暮らす地元住民は「土」。今、袖志では風が運んだ一つの種が、土に着き、土にもまれ、深く根付きだした。この種がどんな花を咲かすのか、そのためには水をやり、草を抜く、引き続き多様な力が必要だ。色々な方の支えと共に、大切に、ゆっくりと育てて生きたい。この2年間に棚田で咲いた、たくさんの笑顔の花に負けない、そんな花になるように…。

 

【棚田に吹く風より】